近所に住む、兄一家のところへ行ったり、箕面の山に行ってみたり。
叔父の家に従姉妹がいたが、年齢を重ねるごとに、遊ぶことはなくなっていった。
たまに来る東京の従姉妹と遊んでいる暇はなかったのだろう。
箕面の山は、母が猿嫌いなのに、何度も行った。
電車に乗って、すぐ行かれるということが良かったのだろう。
母は、毎回のように、猿の餌を、慌てて放ってしまうのだった。
猿に袋をひったくられたりもしていた。
昆虫館みたいな建物があったような気がする。
その時食べたりんご飴に、詰めていた銀歯がくっついて外れてしまった。
見てみると、奥歯にはまっていた銀歯は磨り減って、ところどころ破れていた。
叔父と従姉妹と一緒に宝塚に行ったこと。
祖母や母、母の姉とその子供達と一緒に、高野山へ行ったこともあった。
どちらも、一度だけであったが、他のどの記憶にも似ていない為、
しっかり、心に残っている。
とにかく、影の少ない道路。
空き地にあった捨てられた冷蔵庫。
「閉じ込められたら、最後だよ」
そう言っていたのは、誰だろう?
大阪の祖母の家から、徳島へたつときのことは、あまり憶えていない。
憶えているのは、交通手段だけで、大抵、父が、車でやってきて、
徳島まで一緒に行くことが多かった。
カーフェリーに乗った瞬間、意識が行くのは、
ボイラーの振動音と、生暖かい風。
気がつくと、港を出ている。。。
しばしの間、突然現れた、深い海を眺める。
風が強い。デッキはとにかく、轟々騒がしい。
中は中で、退屈極まりないのだが、座る気になれない。
あちこちうろうろしていた。
足元がしっかりしているとはいい難いところを、
歩いてみるのは楽しいもんだ。
海も眺めてみるが、ずっと同じような風景なので、
何を思って見ればいいんだ?と思った。
子供のくせに。。。
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