Fw: ぼ~っと見つめた先。

映画館のチケット売り場の上に二つの液晶画面。

映画の短い広告を何度も繰り返し流している。

感動のドラマと言われる類の映画の主人公達は
たいてい器用ではない。
痛々しいほどの頑張り。
時に自分自身をも破壊するほどのエネルギー。

ふと二通りのケースを思った。地道に一生懸命頑張って、派手ではないけれど
半端な奴には決して手に入らない、
安定した幸せをつかむ場合。
急激に頑張り過ぎた先に
変化した生活について行けず、自分を支えてくれた人間関係も自分自身も壊してしまう場合。
後者は映画でよくあるパターンだな。
(そう言えば、カート・コバーンが死ぬまでの生活をイメージした映画があるらしい。う~ん。暗くなりそう。。。でも懐かしい?から、少し気になる。懐かしいと言えば、この前、アエラの表紙にOasisのメンバーが(ノエルなんとかって人。)載っていた。まだいたんだ~、と驚いた(苦笑))。

映画は極端かもしれないけれど、実際、
言い訳せずに人一倍頑張っている人や
不器用でも、自分の人生を一途に登っていく人は
見る人、知る人に感動を与える。
その逆は。。。
自分を駄目にしていく人に興味をもつ人がいるだろうか?
確かにいる。
けれどもそんな関係の先は。。。
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その④私の中の徳島の思い出。

子供の頃、夏休み。
最初に祖母の家に行った頃、祖母の家は、徳島の繁華街の中の、
祖母がママをしていたスナックの近くにあった。
飲み屋街の独特のにおいがする、ワンルーム。
夜の前に、祖母が着物の帯を器用に結んでいるのを不思議そうに眺めていた。
祖母はほかの人の着付けもしていた。

古くて汚くて、母が祖母の手伝いをしに、店に行っていた時は、
夜、暗い部屋でゴキブリが出るんじゃないかと恐れながら、
うっすらと入り込むネオンの中で、眠った。
昼間、その部屋にいることはなかった、なぜか。
朝になると、店に行ったのだけれど、
酒場の生ゴミの匂いの中を通り抜けて行くのが怖かった。
暗い店内。ミックスジュースとゆで卵。

早い夜に行くこともあった。
田舎のスナックというかんじで、のんびりしていたけれど、
時折見た、酔っ払いや、きらびやかなお姉さん達が、
やはり、異質で、不思議だった。夜風は生暖かかった。

夏だったから、阿波踊りも見に行った。
踊りの笠が大好きで、行く度に買ってもらっていた。

中心街の象徴は、アーケードのある商店街。
子供だったからか、天井が高く感じられた。
祖母がよく、おもちゃ屋さんに連れて行ってくれて、名前は「ニコニコ堂」(笑)。
何でも買ってくれた。
妙なテーマソングがかかっていた。

阿波踊りは、アーケードの中に、その音を響かせていて、
それが通り過ぎた後、夜の暑い町に出て、しばらく見物した後、帰った。
(大通りには、ひょろ長い椰子の木みたいなのがあった。
近くに小さなロープウェイもあった。)
暑くて、風がなかった。

祖母は、次に、小料理屋を始めて、
中心街から少し離れたところに、マンションを建てた。眉山の近く。
ワンフロアに四世帯で、確か、四階建て。
風呂なし(そのおかげで、後々、借り手が減っていく。)で、
外にシャワー室があった。
祖母の家が管理人室。一階の片側をぶち抜いていた。
そこにはお風呂があったけれど、
ものめずらしさから、外の狭いシャワールームにも行った。
すのこと、コンクリと、アルミサッシの匂いがした。

最寄の駅は、ある時から無人駅。ディーゼル線。
駅前にはスーパーや、
キティちゃんをショーウインドウに並べた綺麗な大皿を使っている洋食屋があった。

祖母は大抵、タクシーを呼んで、出かけていた。
駅から祖母の家までは、あまり人にも出会わない、無機質な通りで、
近所に、町営かなんかの、運動場があった。
野球場のライトが夜も輝いていた。
大きな屋外プールもあって、祖母の家から水着を着て、走って行った。
殆ど、貸切状態。

空気の流れが静かで、灰色の、プールサイドと、水色のそれに漂う雲。
プールを囲う階段状のベンチ。飛び込み台。

近所の通りを歩いていると、よく、トンボを見かけた。
道路にじっとしていたり、二匹で絡み合いながら、飛んでいた。
祖母のマンションの裏にはよく、綺麗な緑色のアマガエルがいた。

静かな夏を、時折、台風が通過して、
その時ばかりは、激しい風雨が、マンションの通路を打ち付けるように吹き込んできた。

冬に行ったときもある。
寒くて、殆ど外では遊ばなかった。ハウスみかんをよく食べていた。
スキーに行こうとしたときもあったけれど、
途中、路肩に仏壇の広告ばかりあった(苦笑)。
ひどい道で、車で登っていったものの、スキーをせずに帰ったのは、
何でだったのか、分らない。

近所の子供達には滅多に会わず、
道を通る子供が、ヘルメットを被って通学していたのが珍しかった。
家にいるときの祖母は、もともと、デザイナーだったのもあって、
洋裁ばかりしていた。
それもあって、あまり出かけなかった。
店と、デパートや、生地屋以外は。

せっかく来たのだからと、観光地らしき場所にも、たまに連れて行かれた。
亀の産卵場や、淡路島(砂が熱くて熱くて、海水浴どころじゃなかった。)、
学駅(そこの入場切符は、入学祈願のお守り。
ちなみに、ぶどう狩りに行ったのだけれど、ぶどうは苦かった。)、
山奥のキャンプ場(川遊びをした。そこも、他に人がいなくて、寂しかった。
ほんとに、河童が出るんじゃないかと思った。
大きな蚊とか、蛾が、建物の壁や、網戸に止まっていた。)。
藍染や、人形浄瑠璃みたいなのも、行くとか行かないとか言いつつ、行かなかった。

ぶどう饅頭というお菓子があった。
薄紫の、一口大の白餡の玉を、串にいくつか刺したもの。
ニセモノの、確か、百万円札が、箱の中に一枚入っていた。
キンチョウ饅頭という、チョコ味の皮で白餡を包んだものや、
「さおしか」という、和三盆を使った、
薄い羊羹をそぼろ状の餅粉入りのようなカステラっぽい生地で巻いたお菓子を食べた。
有名な和菓子屋の「京観世」とか言うお菓子とそっくり。

東京に帰るときは、必ず、すだちの箱と、わかめを貰った。

春に行った時、巻き寿司などを持って、裏の眉山に登った。夜桜を見に。
やはり、あまり人がいなくて、木に吊るされた提灯が寂しかった。
夜風が肌寒かった。
頂上には、妙なダコタ?や、展望台があった。

二十歳前に行った頃、徳島そごうの中の、
青柳という会席料理屋に連れて行ってもらった。
そこの料理は、私にとっては最初で最後と思うくらい、
おいしい懐石料理だった。
その近くに、大判焼きの店があって、安くて、本当に大きかった。
ただでお茶も飲めた。
うちの母が子供の頃一時期、徳島に住んでいたことがあるのだけれど、当時からあったらしい。

もう何年も徳島には行っていない。
私の徳島の思い出のうち、幾つの思い出が、
今もそこにあるのだろうか。
それとももう、まったく違う徳島に変わってしまったのだろうか。
プロフィール

しゅま子

  • Author:しゅま子
  • 33歳から、3人の子供のひとり親となり、40歳越え、現在44歳。40で、いろいろ考えるし、身体も変わると聞いていましたが、ほんとに変わってびっくり。成人の2回目のよう!
    と驚きつつ進みだした40代。文字通り、中年!40代だからこその迷い、多々あり・・・
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